「社会学とは何を明らかにする学問なのか」を読んで

まずはじめに、社会学という余りに多大で広大な範囲を指し示すテーマから、ごく限られた部分のみを切り取った上で、1件の記事にその内容を反映=集約させているということが、この記事からはうかがえる。いや、うかがえるなんていう曖昧さを含んだ表現ではいけない。明晰に足りていない。何もかもがだ。

というのも、この記事を生成するAIに与えた社会学に関係するテーマは、全22編に上る。その22編というのは、手元にあるアンソニー・ギデンズの「社会学第5版」に収録されている内容から、丸々借用している。随分と前に購入したはいいが、未だにそのページ数の多さ(1000ページ以上)を理由という言い訳にして、読み終わっていない。

どころか、自身の興味のある部分に触れはすれど、そうした箇所だけをなん度もなん度も読み返しては、想いに耽るばかりでいる。少し話は逸れるが、ギデンズの社会学を手に取って目次をパラパラとめくったとき、ある言葉に惹かれた。この本には、その言葉に関係する内容が記載されている、しかもある程度のページ量を割いて。

それだけで、購入するにあたっての必須条件でありつつ十分条件ともなる判断材料となった。その言葉とは「貧困」である。この言葉から連想する概念や在り方とは、切っても切れない人間像を有しているとともに、「ある」だけではなく「なる」過程にも必然として埋め込まれている自身には、決して無視はできない言葉であり概念なのだ。

初めて貧困という言葉に興味を持った小学5年生以来、機会があればその背後にあるなにかを、たかだか10年程度しか生きていない少年であっても、目と耳と肌、そしてときには背筋にまで蠢いてくるなにかを、あの薄ら寒いなにかを、感じとっては見て見ぬふりをしていた。感じとってはいけないものなのだと、自分に言い聞かせていた。

そうしたことを、意識下の無意識で実現できるという能力を備えたヒトという生き物は残酷である。ホモ・サピエンスという人類は、と言い換えようか。そしてこの能力はきっと、すべてのホモ・サピエンスに、等しく与えられている。そう、あなたにも、だ。

話を戻すが、ギデンズの社会学には22編のテーマが添えられている。にもかかわらず、この記事からはその片鱗すらも見て取れない。せいぜいが「秩序」や「ルール」、「機能」や「格差」なんて単語と、それらからなるちょっとした文章に終始している。文脈を現代に寄せたところで「SNS」や「ジェンダー」とかなんとか。

なんてことを書いておきながら、その理由と原因は完全に自身に由来する。なぜなら、この記事を生成したAIを構築したのは、ほかの誰でもない、自身だからだ。生成能力はタイミングを見計らって、少しずつ改善していくことにするとして、しばらくの間はAIに与えたテーマから生成される記事を、思考の材料とすることに専念しよう。

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