「神話は人類にとって最初の『世界の説明書』だったのか」を読んで

この記事を読み、大別3つの所感を得られた。一つ目に、聞き及んだ神々の名前が出てくる一方で、全く知らなかった神々の名前も出てくる。アポロにゼウスにオーディンといった神々は、漫画やアニメでその名前をよく見聞きする。しかし、インド神話のブラフマーや古代エジプトのシンなる神々とは、これまで全くの無縁であった。

ひとえにこの事実が意味するものとは、人は自身が見聞きしてきたもの、触れてきたものであれば、当然ながら認識し、知覚するだけにとどまらず、身体や果ては生き方にまで影響を及ぼすということだ。しかし、そうでないものは一切の影響をも及ぼすことはない。「知らないものは知らない」のだ。

「構造主義」のレヴィ=ストロースが脳裏に浮かぶ。人は、その人が認識する事象の枠内でしか生きられない。人にとっての事物は、その人が認識するものが全てであって、そうでないものは存在しない。事実、存在する事物があるとしても、それを認識することがなければ、その人にとってその事物は「存在しない」のだ。

二つ目に、世界の神話の伝承は南半球で見られる「口承」と北半球で見られる「文字」に分類されるという点。これはとても興味深い。前者はその地域で語り継がれてきた唯一無二の「大地の神」や、許されざる「先祖への冒涜」といったところだろうか。後者は「コーラン」や「旧約聖書」などの経典が思い浮かぶ。

口承であれば、その内容は時を経るにつれ変化してきたこともあるかもしれない。数世代前の先祖が、今このときに唱えられている神話と全く変わりのない内容を信じていたことを、証明する術はない。その時々で、神話の内容が変わるとすれば、それは自ずとそこで生きる人々が信じるものも変わる、ということだ。

しかし、文字で構成される経典を信じる人々にとって、それは許されない。文字通り、それが全てなのだ。親や祖父・祖母の世代は当然ながら、そこから数世代、数十世代を遡ってみたところで、世界を支配していたのは人々が信じる神話であり、それを文字として記した経典であった。

最後に、世界中の物語に共通しているという「英雄の旅」に着目する。この物語は、主人公は出発をしたのちに、さまざまな試練はあれど最後には帰還を果たすという、いわゆるハッピーエンドを迎える、という文脈に落ち着く。耳障りの良い内容だけに誰もがこの神話を推すだろうし、そしてなによりも、そうなるんだと信じたいことだろう。

日本で伝わる神話(という呼び名をここでは使う)を研究・筆記した、イギリス人のアイヴァン・モリスが記した「高貴なる敗北」という本がある。この本には幾人もの日本人の英雄、例えば日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のことなんかが書かれているが、本のタイトルが示すように、英雄は皆、敗北を喫している。

そうした英雄の一人に、万(ヨロズ)という人物が存在する。モリスによれば、万は歴史上初めて、敗北の際に自らの命を絶った最古の人物であると同時に、英雄的敗北者像を形成した人物であるという。これは、日本に生きた人々の理念や信条が、少なからず入り込んでいるのではないかと、考えずにはいられない。

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